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これが富里空港だ!!計画案です(^^)/

なんと半世紀前に
巨大空港の計画がありました\(^o^)/
以下は成田空港問題シンポジウム記録集(資料編)から抜粋です。
ご覧ください。

≪ 計画図 ≫
富里空港計画図.jpg
≪ 計画の内容 ≫
航空審議会答申.jpg
昭和38年12月  上記の航空審議会答申が運輸大臣に示された。

「新東京国際空港の候補地及びその規模」

≪ 答申の内容 ≫
・当時の羽田空港
発着回数5万回超、旅客数250万人
滑走路3000m1本、敷地面積350ha(100万坪)
「もはや最小の規模と言わざるを得ない」

・世界の大空港計画
ワシントン・ダレス空港は4,000ha(1200万坪)
パリ、ニューヨーク、ハンブルグ等においても同程度の大空港計画を進めている」

・我が国における新空港計画
必要な能力を附与するためには、
4000m程度の主滑走路2本、副滑走路2本、横風用滑走路1本は必要
敷地面積は2,300ha(700万坪)
とし、上の計画図が掲載されています。
・候補地については
(1)千葉県浦安沖
(2)茨城県霞ケ浦付近
(3)千葉県富里村付近
この3候補地で検討が進められ、
「諸種の条件を総合すると千葉県富里村付近が最も候補地として適当であり」としています。
40年11月  これを受けて新東京国際空港関係閣僚協議会が候補地を富里とすること発表
富里空港が内定したのです。
そもそも「富里村付近」とはどんなところ?

答申においても「起伏が少なく、洪積台地であり、地盤は良好である」との表現されていますが、谷津などが少ない平らな地域であったわけです。江戸時代は佐倉七牧といって内野牧(うちのまき)、高野牧(こうやまき)など7つの牧場があり軍馬などの飼育が行われていたところです。
明治になると下級武士や武家屋敷奉公人など失業者の困窮対策として、この土地の民間払い下げ、開墾がすすめられました。
そのなごりが地名になって残っているのですが、開墾した地域の順番で「7番目が七栄、8番目が八街、10番目が十倉」という感じです。
・内野牧 2210ha 七栄
・高野牧 2960ha 十倉 
・柳沢牧 3340ha 八街北部
・取香牧 1750ha 三里塚
昭和41年7月  閣議決定 富里に内定していた新空港の候補地が、成田市三里塚の下総御料牧場を中心とする地区に変更され、規模は富里のほぼ半分に縮小されて現在に至ります。
平成30年3月  国、県、市町村、NAAの四者協議で合意に至った機能拡張が図られると、2000ha(600万坪)を超え、滑走路3本となり、富里空港計画の規模に近づくことになるわけです。