古民家:築152年の醍醐味
- 2021年4月13日
・152年前と言えば明治2年(西暦1869年)、青天を衝けの渋沢栄一は29歳、静岡藩で徳川慶喜に仕えていた頃です。
・この時期の芝山町の殿様はこのような方
明治政府が徳川宗家のために静岡藩70万石を作るために、沼津藩など駿河国3藩、掛川藩など遠江国4藩を上総国、安房国に移転させるのですが、この時移転してきた掛川藩が柴山藩(松尾藩)になるのです。
・この柴山藩の殿様は太田資美、玄関→槍の間→中の間→奥の間にお迎えすることがあったかどうか、障子をあけて築山を見てもらったかどうか、豪農の御屋敷造りでは殿様のお成りを想定しているのだと思うとロマンチックなのです。
・芝山町史(民族編)には、第二章「生産とくらし」の住まいの項で興味深いことがたくさん書いてありました。
屋敷構え:理想は三反歩(2975㎡)、後ろ(北側)に山を背負い、南側に開けている地形、水はけ良し、
母屋:平屋で長方形、大きさは奥行きと幅で、ゴシチ(五間に七間)、ゴハチ(五間に八間)、ゴック(五間に九間)とあり、トオロク(幅十間に奥行き六間)は大邸宅、大三川邸と当社O役員邸はトウロク、名主、庄屋などの豪農
間取り:田の字形の四部屋かそのうち一を二つに分けた五部屋が基本
ニワバ:トボグチという通常出入りする玄関を入るとそこは土間、ニワバ(庭場)という。母屋の三割を占める広さ、奥にはカマヤがあり炊事を行う、もみすり、縄苗なえなどの作業も行う
ザシキ:土間のニワバや庭に面した大きな部屋
アガット:座敷より一段低くした板張り
大黒柱
土間の天井
頑丈な屋根裏でお蚕を飼っていた
もう一つの玄関
槍の間→中の間→奥の間
中の間の障子を開けると
芝山町史(民族編)
※NHK大河を見るときの参考にしてください。