「 梅の木共有地? すごい場所にあるね(@_@) 」
- 2017年1月21日
「1995年(平成7年)6月、第2旅客ターミナルビル区域内にあった「梅の木共有地」問題が解決し、 (途中略)
対立関係の解消が目に見える形で結実したものであった。」
出典:成田国際空港株式会社HP
現在
何処に
1994年(平成6年)
「梅の木共有地」は第2旅客ターミナルビル区域内にと書いてありますが、上の写真をご覧の通りすごい場所にあったのです。
写真上部が第2旅客ターミナルビル、白い部分がエプロン(駐機場)、その右手のど真ん中に飛行機(ジャンボB747)1機分くらいの黒い長方形の部分が「梅の木共有地」です。
地主さんたちがたくさんの梅の木を植樹していたのでその名前がつけられ、まるで粋な庭園のように、外国のお客様には「おもてなし」と、見えたようです。
地主さんたちがこの場所に行く用事があるときは空港公団(当時)がランプ車両で送迎していたとのこと、当時の雰囲気が窺えるところです。
問題解決、撤去後、舗装完了ですっきり
1995年(平成7年)11月
満杯の羽田空港に代わって作られた成田国際空港
たくさんの血を流し、みんなの心を傷付け、尊い命まで奪って開港した空港は、その後の航空需要の伸びに追いたてられて拡張を迫られていました。
1992年(平成4年)末には第2旅客ターミナルビルがオープンしましたが、広々としたコンクリートの駐機場の中にぽつんと島のように残された500㎡程の未買収地のために、到着機は安全のため自走せず、手前で停止、トーイングカーで引っ張ってもらう運用になっていました。
過激派が横行し、個人宅には火炎ビンなど発火物が投げ込まれ、飛翔弾という爆発物で空港が狙われるという時代です。
でも一方で平和的解決の動きも活発化していて、空港問題シンポジウム、それを受けた円卓会議を経て、反対をしていた方々の心が和んできたわけですが、その表れが「梅の木共有地」解消であって、空港問題解決のシンボルということになります。
上の写真を見ていただくとお分かりの通り、エプロンのさらに右側は未だ未買収地だらけ、上部左端が東峰地区、天神峰地区で手つかずの状態でしたが、ここから空港問題解決に向かって着実に動き出したのです。
B滑走路は7年後のオープン、2500mの本格B滑走路になるのは2009年(平成21年)、14年後という歳月を要することになります。
現在
ご覧の通り左上が2500mB滑走路です。
そしてエプロンの右側の未買収地も解決し、きちんと誘導路が整備されています。
写真下側の4000mA滑走路とB滑走路を有効に活用するため大動脈となるこの誘導路整備が必要不可欠、最重要課題でしたが既に完了、関係者の努力の賜物です。
梅の木は今
今や第3滑走路建設の動きになっています。しかも地域からの声が原動力になっていることは正に隔世の感です。 この地域と一体になった推進は、「共生への願いを込めて」と22年前に石碑に刻んだみんな願いが叶う時代になったのです。
この石碑は東成田駅ロータリー入り口のところにあります。
移植された梅の木共有地の梅5本に囲まれて、静かに時を待っていたように感じます。
すべてを見てきた管制塔も印象的です。
<第3滑走路等の計画>
下の資料で滑走路の位置などをご覧ください。
「成田空港の更なる機能強化に関する調査報告書について(その3)」
2016年9月 成田国際空港株式会社
http://www.narita-kinoukyouka.jp/news/backnumber/160927_01/pdf/160927_02.pdf
出典:成田国際空港株式会社HP
※梅木共有地に関する当時の記事です。
(平成5年2月4日朝日新聞)
※航空写真は成田国際空港株式会社に提供していただきました。